主権者は、日本のこの危機を切り拓けるか?
あの遠いざわめきを/だれが聴きわけられようか/ ひとつの世界が生まれ出るのか/ それとも/ いま未来が死んでゆくのか… ルイ・アラゴン
(「七月の夜」 詩集『フランスの起床ラッパ』から)
「自分の国をつくれるぞ」ということを心に置いておかないと、またしても、『兵隊よこせ! 女工をよこせ! 女郎をよこせ! 出稼ぎよこせ! ……』と言われ続ける東北になってしまう… 井上ひさし
(2007年、赤坂憲雄編『東北ルネサンス』から)
三・一一東北大災害から早や六ヵ月。国や東電、主だった与野党政治家たちの右往左往。危機を作り出した自らの責任さえ忘れたかのような毒づきと、白々しいドタバタ騒ぎばかり盛んだが、肝心の救援も復興も、何ほども進んではいない。
それどころか、福島原発の最悪事態(メルトダウン=炉心溶融。レベル7!)は、いまだ収息の見通しさえ見えず、なお進行中だ。深刻な放射能汚染はさらに拡がるばかり。夏休みだというのに、子どもたちは野山や海で遊ぶこともできない。魚や肉牛、野菜や果実、お茶など食品の安全も脅かされている。各地の避難所へ収容された原発難民たちは、自分の家や畑、仕事、店や工場、学校、自治体、故郷そのものまでを根こそぎ奪われ、いつになったら帰れるのか帰れないのか、もとの生活は取り戻せるのか、それら損害の補償は誰がいつしてくれるのか、してくれないのか…。何一つ確かな保証も見通しもないまま日夜、東北の人びとは不安と絶望にさいなまれつつ、それでも懸命に生きている。
未来社刊の自著「明日なき原発」(「原発のある風景」増補)刊行いらい、読者の共感のメールや反響、勉強会への講演依頼、学校(大・髙・中・小)の授業依頼などが相次ぎ、各地を車で駈け回っている。全国どこへ行っても、日本の主権者の多くが、この事態に日本の「ただ事でない危機」の本質を肌で感じ取り、「なんとかしなければ!」「自分に何ができるか?」と悶えている。
戦後六十数年、知らぬ間に地震の巣窟列島に五十四基もの原発が林立し、さらに十四基も増設されようとしている! どうして日本はこんな事態になってしまったのか? この世紀の亡国的「国策」は終始、政府・東電の国民への「騙し」で推進されてきた。まさに歴史的犯罪である。
世界で初めてヒロシマ・ナガサキ、さらにビキニ環礁(第五福竜丸)…と相次ぎ原爆・水爆の被爆被害を体験してきた日本が今、汚染・被曝列島になりつつある! 日本の子どもたち全体が、いや、ぼくら自身が新たなヒバクシャになりつつある! さらに被災国であるはずのわが日本が、今や地球規模の環境汚染の加害国になりつつある!
七月、いても立ってもおれず、ぼくは福島市へ車を馳せた。そこで二つの講演を終え、ついで「避難所」のある会津若松、大玉村を五日間、取材と講演で歴訪した。
「あれが安達太良山(あだたらやま)/あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)…」――大玉村は身体がすくむほど美しい村だった。かつて「智恵子抄」で高村光太郎が謳ったそれ以上に美しく息づく、そこは貧しいながらも健全な、豊かな農村風景、神秘的な日本の故郷だった。(ここも『夕鶴』のふるさとだ…。おつうさんや与ひょうどんが、畑々にいっぱい働いとるわ)――そう思った。
だが、そこで出合った素朴で誠実な村人たちや避難民たちの惨状・窮状・苦悩は、テレビや新聞報道で見るようなナマやさしい状況ではなかった。福島原発から百キロも離れた村にも「基準値」を超える放射性セシウムが降り注いでいた。畑々や牧場、河や大地、山々にも放射能汚染がすすんでいた。そのもとで生きる村人たちは悪戦苦闘していた。(…ああ、今も東北の状況はどこまでも沖縄とそっくりだ!)――村人たちと話し込むほどに、そうぼくは痛感した。
日米の国家と権力による徹底した「地方」差別。「国策」という名で、札束(電源三法交付金)で頬をひっぱ叩きながら、気ままに「地方」の民と暮らしの大地を踏み荒らし、利用し使い捨て、ついには切り捨ててきた「国家と権力」という化けものの乱暴狼藉の爪痕。
世界でも有数の地震・活断層の巣窟列島に五四基もの「危険極まる明日のない欠陥商品」を押しつけ林立させてきた、愚劣で凶悪な国家と権力者たち。
思えばそれは、広島・長崎への原爆投下で終わった敗戦いらいの米国政府による「対日戦後支配政策」の一端でもあった。「他国を従属させるにはエネルギーと食料と教育(報道)を支配せよ!」。それはつねに帝国主義覇権の常道、経済・政治支配の基本政策である。これに米軍基地、傀儡軍隊(自衛隊)増強が加われば、支配の構図・システムは完璧だ。
「大災害」は、時代の断面を瞬時に浮き上がらせるという。今、現代日本の断面と素顔が、その悲惨な傷口までがありありと見えてくる。対米従属の露払い、推進役を演じてきた代表格が岸信介(戦前戦中の元内相・A級戦犯)、正力松太郎(元警察官僚・読売新聞社主)、中曽根康弘(元海軍主計士官・元首相)、小泉、安倍…歴代の閣僚たちと財界の首脳たち。いずれも日本をしゃにむに原発列島に仕立て上げてきた立役者たちである。戦後六十五年、日本の歴代政権が貫いてきた「日米同盟」、対米従属政治の当然に行き着く結果が、この大災害だった。(逆に言えば、歴代の売国奴たちの正体と狙いを見抜けず、騙されて信任してきた日本の主権者たちの意識の弱さ、責任でもあったのだが。)
さらに今、「大災害」はぼくらに警告し、声高に教訓している。それは一九二三年の関東大震災だ。国家や権力は、あの災害を逆手にとって一挙にファシズム支配に持ち込むことに成功した。明治の富国強兵、大陸侵略の風潮に対し、急速に盛り上がっていた日本の民主主義の勃興、自由民権の興り、人間復興の曙光……大正デモクラシーの夜明けの時代でもあった。
それに慌てた権力は、大災害でパニックに陥った民衆に「朝鮮人、社会主義者が暴動、放火を重ねている…」などのデマを意図的に流し、各地で自警団による朝鮮人虐殺事件(犠牲者六千人以上)を引き起こした。そんな社会的混乱に乗じて軍隊と官憲は、「亀戸事件」、「甘粕事件」をはじめ「小林多喜二虐殺」など、あいつぐ民主勢力への大弾圧、おぞましい虐殺犯行を重ねた。ついで治安維持法、特高警察、さらに世界恐慌が波及した「昭和恐慌」、満州事変、日中戦争、国家総動員法、国民徴用令、大政翼賛会、真珠湾攻撃・対米英宣戦布告…。あとは日本壊滅の道、亡国への「神国」(大日本帝国)のまっしぐら…、まるでマンガのような進撃であった。(関東大震災前後の歴史については、ぜひとも、あなたの手許の「年表」を開いてみてほしい。各行ごとに歴史が叫んでいる。)
いま、マスメディアの報道の裏で、同じ動きが進行していることに、ぼくは愕然とする。またしても危険なファシズムが放射能汚染とともに忍び寄っている!
しかし、からくも当時との「決定的な違い」が救いだ。それは「現日本国憲法の存在」である。国の基本が「主権在君」ではなく、「主権在民」であること。これが危機、絶望から這いあがる土台・足場であり、希望・展望の根拠だと思う。
ぼくら一人ひとりが、この憲法の指し示す理念を実現させる主権者たり得るか? 真に主権者として行動できるかどうか? それが問われているのだと思う。
福島から東京の自宅に帰ると、一通の封書が届いていた。
「先日は、大変貴重なお話、ありがとうございました。私は大玉村で米作りと酪農を営んでいる主婦です。今回の原発事故では毎日、牛乳を棄て続けました。牛のエサの牧草も棄てることになってしまいました。酪農家にとって牛にエサを与えられないということは命取りになることです。
今までも農業は衰退するばかりで、後継者はいない、米の値段は低下するばかりで、もう私たちの代で終わるしかないとあきらめてはいました。しかし今回の事故で、もう起き上がることができない状態です。子どもや孫たちのことも心配で不安でたまりません。
毎年家の畑でとれた無農薬の野菜も食べられない始末です。今まで六十年も生きてきて、本当につらい年になってしまいました。人は、明日は今日よりも少しでも良くなることを願って生きています。なぜ、こんなひどい世の中になってしまったのでしょうか? 私が子どもの頃は、農家は貧しくて、暮らしは大変でした。十人家族などは珍しくない賑やかな暮らしでした。いつの間にか農家も、子どもたちはそれぞれ家を出て、老人だけの世帯になってしまいました。若い頃から豊かさを求めて一生懸命働きました。何が悪かったのでしょうか。考えても考えてもわかりません。もう何もかもあきらめたほうが楽だ、なんて考えていましたが、先生のお話を聞くことができ、まだ私にもできることがあるような気がしてきました。原発は廃炉にすること。憲法改正には反対すること。そしてこれからの農業に少しでも陽が当たるようにすること。小さな力でも皆で声をあげていけば何か良いことがあるような気がしています。
百姓しかできない私ですが、言いたいことも上手に表すこともできませんが、手紙を書いてみました。そのうち、きっと良いことがありますよね。先生もお体に気をつけてご活躍ください。 福島県安達郡大玉村大山 O・T子」
ぼくは、込み上げる熱いものに堪えながら手紙を読んだ。(おお、大丈夫だ! 福島は東北は、日本は復興できるだろう。こんな小さな村にさえ「吉里吉里国」がしっかりと生きている! 自分の足で立ち、自分の頭で考え行動する主権者が、ここにも確かに育ち、懸命に生きている!) そう確信した。そして訳もなく、往年の高村光太郎の詩が胸に込み上がってきた。
報告(智恵子に)
日本はすっかり変りました。/あなたの身震いする程いやがってゐた/あの傍若無人のがさつな階級が/とにかく存在しないことになりました。/すっかり変ったといっても、/それは他力による変革で/(日本の再教育と人はいひます)/内からの爆発であなたのやうに、/あんないきいきした新しい世界を/命にかけてしんから望んだ/さういふ自力で得たのでないことが/あなたの前では恥かしい/あなたこそまことの自由を求めました。/求められない鉄の囲ひの中にゐて/あなたがあんなに求めたものは、/結局あなたを此世の意識の外に逐ひ、/あなたのあたまをこはしました。/あなたの苦しみを今こそ思ふ。/日本の形は変りましたが/あの苦しみを持たないわれわれの変革を/あなたに報告するのはつらいことです/ 昭和二十二年六月 光太郎。
(敗戦から六十五年目の「原爆被爆記念の日」に記す)
by k9mp | 2011-08-19 12:04

